《シネマトーク》 〜『風 と共に去りぬ』出版前後〜 -Gone with the Wind PubliIcation-
ミッチェルは1937年にアメリカ最大の文化賞の小説部門でピューリッツア賞(1936年度)を受賞しています
ね。 マーガ
レット・ミッチェルは1900年11月8日ジョージア州のアトランタ市に生まれ、南北戦争を生き抜いた
母方の親類の影響を大きく受けて育ち、『風と共に去
りぬ』を執筆します。1949年8月16日、自動車事故のために亡くなりますが終生アトランタ市を離れ
なかったそうです。 マーガレット・ミッチェル(Margaret
Mitchell)(本名ペギー・ミッチェル)は、
1922年に「アト ランタ・ジャーナル」新聞社に入社し記者になります。同年にレッド・アップショウ(レッ トのような)と結婚し
ますが、1924年に離婚しています。そして、翌
年ジョン・ロバート・マーシュと結婚します。二度目の結婚後、初めて買った木造三階建ての新居で、くる
ぶしの骨折で寝たきり生活を送っていたミッチェルが1926年に『風と共に去りぬ』を書き始めます。(1993.3.28朝日新聞 社会部 保科龍朗記事『シネマ CINEMA キネ
マ』参考)
1936年6月30日、『風と共に去りぬ』は出版され、ハリウッドの名プロ
デューサーのデビッド・O・セルズニックは、この本が出た翌月(7月30日)、早くも映画化権を
手におさめ、3年の歳月と、50万フィート(47
万5000フィートの説も)の
フィルムを使用して397万7000ドル(また385万ドル、420万ドル、450万ドル、あ
るいは 600万ドルとも言われている)、今日の金額に換算す
ると、ゆうに千数百万ドルに及ぶ巨大な製作費をかけて完成させています。実際の上映に当たっては2万300フィートにまとめ上げられたそうです。(1989 Week
End CINEMA記事『完全修復版として感動をふたたび GONE WITH THE
WIND 風と共に去りぬ』参考)
アトランタを愛し続け『風と共に去りぬ』に全精力を継ぎこんだマーガレット・
ミッチェルはアトランタのオークランド墓地に夫ジョンと共に埋葬されています。(「風
と共に去りぬ 幻のメーキング」参考)(草鹿宏『永遠のスカーレット・オハラ ヴィヴィアン・リー物語』
参考)(アン・エドワーズ(1990)
[1985]『ヴィヴィアン・リー』文春文庫)(1993.3.28朝日新聞 社会部 保科龍朗記事『シネ
マ CINEMA キネマ』参考) 更新
2006.1.9
福島申二氏記事では、もうひとつ面白い事が載っていましたよ。
更新
2006.9.13
マー ガレット・ミッチェル Top |